「哲学の浜辺」インタビューを終えて:中川理

Tシャツアート展

砂浜を再発見することよりも、
そうして発見された砂浜を、発見した人々で
共有できる点に価値があるのだと思う。

砂浜美術館は、まちおこしとしてみた場合、評価すべき点をたくさん持っている。例えば、あくまで市民グループの枠組みを維持しながら、そこから行政にアプローチしようとする方法論。いわば「民エンジン」ともいえるこの方法は、公共事業の補助金に依存する体質にがんじがらめにされている現在の地方行政の状況の中では、極めて有効な作戦である。

しかし、これは砂浜美術館独自の方法論というわけではない。数は少ないものの同じように真の地域文化を目指すまちおこしの例は存在し、そのほとんどの場合で、そうした「民エンジン」の方法が使われている。今、ほんとうのまちおこしをするためには、「民エンジン」は必須の条件とさえ言えるだろう。

では、砂浜美術館が独自に築いた方法論とは何だろう。砂浜美術館の「学芸員」たちが自ら語る言葉の中に必ず「これは哲学だ」という説明がある。おそらくこの「哲学」にこそ、砂浜美術館の真のまちおこしたらしめる根拠があるのだろう。そして、その哲学の中身とは「ものの見方が変わる」ということだろうと思う。確かにこの哲学は地域を捉え直すアイデアとして優れたものである。

しかし、注意しなければならない。というのも、行政主導(官エンジン)で行われる「補助金漬まちおこし」でも、多くの場合、町の「哲学」が語られるからだ。といっても、ほとんどが単なるキャッチフレーズに過ぎないのだが。でも喜多方ラーメンの成功で全国にラーメンまちおこしのブームが起こったように、「~美術館」を町の哲学として採用する町村が次々と現れてもおかしくはない(そうなったら元祖としては悪い気分ではないかもしれないが)。

砂浜美美術館の哲学の本質とは、「ものの見方が変わる」という効能にではなく、その後に獲得されるその見方そのものにあるのだと思うのだ。それは一言でいってしまえば、砂浜を意識の上で共有化していく見方である。今まで、個々の意識にバラバラにあった砂浜を意識の上で共有化していく。そうすることにより、新しい公共性を想像しようとしているのである。空間を再発見することも重要だが、それよりも、そうして発見された空間を、発見した人々で共有できる点に価値があるのだ。そうして獲得したものは、キャッチフレーズのように簡単に借用できるものではない。

この国では、土地(=場所)を純然たる資産とみなしてしまうことで、公共性の概念の成立がずっと阻害されつづけてきた。今、まちおこしで最も重要なのは、その土地に根差す公共性をいかに獲得するかなのである。砂浜美術館はそのことを直感的に理解してしまっている。だからすごいのだ。

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

→<次回>インタビューを終えて:花田佳明
インタビュー「哲学の浜辺」第1部:わたしたちの町には美術館はありません

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≪プロフィール≫
中川 理(なかがわ おさむ)

1955年横浜生まれ。京都大学大学院博士課程修了。工学博士。現在、京都工芸繊維大学助教授。著書に『偽装するニッポン』などがある。砂美人連主催の「つくる人とつくらない人の交流会」(1994年6月10日)に参加。NHK「ETV特集・カエルの橋は町を変えるか」(1997年3月26日放送)で砂浜美術館を紹介


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立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

ながい旅でした。

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1994年4月18日に発行された漂流物についての冊子です。当時の砂浜美術館学芸員(自称)の想いとセンスがきいた解説は、20年近くが過ぎた今日でも色あせることなく、人の心に響いてきます。

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