10年続ければ文化になる。100年続ければ世界文化遺産?これまでそんなことも言われてきた砂浜美術館も今年で35年目。これからの砂浜美術館の可能性を、立ち上げメンバーの一人であり、現黒潮町長の松本敏郎氏(以下:町長)と、企画チーム“Seaside Gallery”の松下卓也(以下:松下)の対談をお届けします。
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「町づくり」と砂浜美術館
松下)町長という立場になって思う砂浜美術館とは?
町長)砂浜美術館の理念と考え方は、まちづくりに全部に使える。ただそれをどう使うか、具体的につなぐにはいろんな工夫をしなければいけない。
松下)同感です。僕も砂浜美術館のコンセプトに可能性を感じたひとりです。
町長)理念と、具体的行動は少し違う場合がある。現実的に何かするには、人の力、共感、予算も集めないかん。理念をカタチにするためにはそこから考えないかん。国や県のあり方も同じだと思う。司馬遼太郎の「この国のかたち」いう歴史随筆があるけれど、その考え方が今の政府でそのまま使えるかと言っても、なかなかそうはならないけど、この国の人間にとって「そこは大事にしたいよね」というのに似ている。
松下)花火なんかもそうですよね。子どもの頃Tシャツアート展はあまり興味がなかったが、花火は必ず行っていた。あとは、遠足の時と砂浜近くの漁港で行う写生大会のついで(爆笑)
絵は適当に書いて少しでも早く広い浜に行って遊ぶのが楽しかった。
町長)花火はね、小学校の時の花火の楽しみ方と、中学校になった時の花火の楽しみ方が違う。小学校の頃は家族と一緒に楽しみ、中学校になったら友達と一緒に楽しむ。あそこが花火大会の楽しみ方の大きな転換期で大人への一歩となる。
松下)高校生なったら女の子と行きたくなりますしね。(笑)
※毎年8月15日に花火大会(シーサイドギャラリー夏)が砂浜美術館・入野の浜で開催される
妄想をカタチにした美術館
松下)建物のない美術館ができた当時はどんな感じでしたか?
町長)いろいろあったね。建物がない訳だから住民にとってはわかりにくいのは当然。でも自分達は面白かったし、人の目は気にならなかった。わかってもらおうという意欲もあったしね。
松下)砂浜美術館の「モノの見方と考え方」ですよね。それをカタチにして見えるようにする事。
町長)当時は20、30代のええ大人が、ずっと浜でTシャツを並べたり砂の彫刻を造ったりしているワケだから理解を得られない事もあったね。確か議会の場だったと思うが「20、30代のええ大人が砂遊びをしている」というような批判をされた時には、開き直って「物事は正確に言わなきゃいけませんよ。20、30代だけじゃない。40代もおりますよ」というように、まともに喧嘩をしないようにかわしてきた。
35年経って思う事
町長)町も町長もどんどん変わっていくなかで、町長が変わっても砂浜美術館は残っていくがよ。
楽しい事が多かったね。なぜかいうたらね、俺にとっては人生やからね。大学に行けなかった自分にしたら、この町で生きていくことが人生。人生は豊かにしたい、一人一人が自分の人生やから。自分のために。そして、子どもができたら子どもにも自慢したいろ。
町おこしより結局自分の住んでる町を自慢したいだけ。わがままかもしれないが本当の真意はそこにあって、自分らしくこの町で生きていきたい。だから、町長が変わるたびに策をねりみんなを説得していった。
すなはま町長室だと役場にいるより朗らか?
松下)新しくできた企画チームも「停滞せずカタチにしていく」動くことをベースと考えている。
町長)できない理由をならべるのではなく、自分達の考えた妄想をどうすればわかりやすいカタチにできるのか。そうやって動いてカタチにしていくのが大事なことながよ。時々喧嘩もしたけどね。
今だったらどんな妄想をカタチにしたい?
町長)この町って個性がある人が多いというか、第一線で活躍できるような個性を持ってる人がたくさんいる。いわゆる職人。クラフトマンってやつ。そんな人たちにスポットを当てるというか、クラフトマンが集まってくるような町にしてみたいね。「クラフトマンシップ」のある町。
松下)確かにリグリ(拘りを持ってる)の人多いですもんね。面白そうな妄想ですね。よかったらこの後もう少し妄想語り合いません?(笑)― 終
【『HIRAHIRA TIMES 2023』(非売品)より】