「その日」 そもそものきっかけ・39日間の物語 第一話

今年で25年目を迎える「Tシャツアート展」

↑今年で25年目を迎える「Tシャツアート展」

少し大人になってわかったことがある

15年くらい前のこと、地元の高校を卒業して、この地域に就職したわたしたちは、マスコミから流れてくる都会の情報におぼれ、いつも都会を追いかけ、あこがれてきた。しかし一所懸命追い掛けても、都会はそれ以上に早いスピードで先を走り、けっして追いつくことはできなかった。

いつも都会に媚び、いま「自分の住んでいるまち」が見えない「地方の若者像」がそこにあった。

時が流れ、少し大人になったわたしたちは、いつも虹のように逃げていく都会に気づき、「ちょっと待てよ・・・」「何かおかしいぞ」と立ち止まった。そしてふり返ったり、自分の足元に目を向けたりして、「わたしたちにとって本当に大切なものは一体なんだろう・・・」とまわりを見つめ、考えるようになった。

シーサイドギャラリー92・夏 第4回砂の彫刻

↑シーサイドギャラリー92・夏 第4回砂の彫刻

これはわたしの小論(*1)「~人と自然の付き合い方を求めて~砂浜美術館構想」(1991年)の書き出しです。1989年に砂浜美術館の活動をはじめてから3年めに、まちづくりの視点から砂浜美術館について考えたものです。

しかしわたしたちは、いま砂浜美術館をまちづくり以上のもっと深い意味をもったものとして考えるようになっています。砂浜美術館の「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です」というコンセプト(基本的な方向性)を、ものの見方を変えることでいろいろな発想や新しい創造力がわいてくる考え方として、あるいは人間が生きていくために大切なことをみつける哲学としてとらえるようになってきたのです。

だけど砂浜美術館は、わたしたちがそれをつくろうとして生まれたものではありません。砂浜美術館が誕生するそもそものきっかけは、いくつかの偶然の出会いにありました。そしてそれは、ランダムなエネルギーに満ちていました。

話は1989年4月にさかのぼります。大方町(*2)の役場に勤めるわたしは、4月の定例人事異動で企画調整係に配属され、新しい大方町の振興計画を担当することになりました。その振興計画(*3)は「ハードからハートへ」という一風変わったタイトルでした。

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

第二話「砂浜美術館誕生への布石」

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≪語り手≫
松本 敏郎(まつもと としろう)

砂浜美術館informal学芸員(*4)で、砂浜美術館立ち上げメンバーの一人。

●註

*1 小論 氏はこの論文で「毎日郷土提言賞・論文の部」(主催・毎日新聞社)の準提言賞を受賞。『大方町史』に所収。
*2 大方町 2005年大方町は佐賀町と合併し、黒潮町が誕生。
*3 振興計画 地方自治法で市町村は基本構想を定めるよう義務付けられている。構想や計画は通常10年ごとに作られる。
*4 informal学芸員 以前、名刺に「砂浜美術館学芸員」と入れたところ、「学芸員は国家資格」と指摘され、以来informarl付き。

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立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

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