潮風のキルト展、はじまりの話

今年で20年目を迎える「潮風のキルト展」

↑今年で20年目を迎える「潮風のキルト展」

初めの始まり

「何か、やりようぞ」Tシャツアート展の隣、松林にキルトが揺れている。地元パッチワークキルトサークル「あずさ」のメンバーたちが展示したものだ。松原で木漏れ日に照らされるキルト・・・いい感じ

そんなお試し展示から、「Tシャツは砂浜、キルトは松林が似合うのでは」の提案が生まれ、第1回のキルト展が始まることになる。しかし、「お金は」「審査員は」「展示方法は」「賞は」などなど押し問題。とにもかくにも、「あずさ」と地元の工芸グループ「自然工房」と「砂浜美術館」の共同作業が始まった。

「金がなければ、知恵を出せ」有名な審査員が呼べなければ、「町の子どもに選んでもらったら」の声。子どもたちの目でキルトの世界をみてもらうもの良いのでは。しかし、それではキルターの人たちが納得しないか・・・。いや、ナンバーワンではないオンリーワンでいこう。これが砂浜美術館流。喧々諤々の結果、「こどもたちが選ぶ・潮風のキルトコンテスト」に決定した。

展示は屋外、雨の場合のみ屋内。展示方法はロープがある、松林がある。朝、展示。夕方、取り込み。これ、洗濯物と同じ。これを繰り返す。大丈夫ですか?秋の天気は変わりやすいといいますが。しかしこの方法が、今では当たり前となっている。

さて、「お金、お金」「賞、賞」。お金は、砂浜美術館のやりくりで、何とかOK。また、お客さんに協力金300円をお願いして、500人が協力してくれたら15万円。よし、何とかなるだろう。で、初めの始まりです。1995年、砂浜美術館誕生から6年目のことでした。

ちなみに、キルト展の募集チラシは、地元人、Iターンの人、事務局の協力で、第1回から自前の作成を続けている。

町内の小学校を訪問する恵さん(2006年)

↑町内の小学校を訪問する恵さん(2006年)

出会い・・・小林恵さん

僕は全く知らなかったのです、「小林恵さん」のことを。当時のチラシから紹介を引用すると「小林恵(ライフスタイルジャーナリスト)1964年渡米。1969年ニューヨークでデザイン会社を作り、1982年フリーランスとして独立。アメリカンライフを専門に執筆、企画。日米草の根文化交流協会ディレクター。ミセスキルト大賞審査委員。ニューヨーク在住・・・」。審査員として「恵さん」の名前があがった当時、事務局を担当していた水野聖子の父が、恵さんとつながりがあるということで打診してもらった。謝礼はこちらの言値、しかもニューヨーク在住。にもかかわらず、OKとのお返事。

そうして2002年「第8回潮風のキルト展」の審査員として、恵さんが砂浜美術館に来てくださった。初めて会った時から違和感はなかった。しかし、まさか、それ以来10年以上の付き合いになるとは!

恵さんとのつながりで、キルト展には驚くべき出来事が次々に“寄って”来た。NHKの「日曜美術館」のスタッフが取材に来たのである。キルト展の全国放送(少し場違いな感じもあったかな)。さらに、NHKの論説委員の田村さんも取材に来られ、『美術館のあり方』で砂浜美術館が紹介された。

潮風のキルト展会場で開催した恵さんの講演に聞き入るお客さん

↑潮風のキルト展会場で開催した恵さんの講演に聞き入るお客さん

こうした中、恵さんはキルト教本「子どもたちに教えるキルト指導要綱」を作成し、町内の保育所や学校などにプレゼント。ここには、子どもたちから大人までがキルトを楽しむ方法が伝授されている。

その後の恵さんは、会場で講演をしたり学校に行ったりと、町内を駆け巡った。そんなふうに、60代から70代の自分の時間を「潮風のキルト展」に使っていただいた恵さんの想いを、私たちが十分に受けとめ生かしているのかと、いつもちょっぴり不安に思っています。(続く)【『砂浜美術館ノートⅡ』(2012年発行)より一部掲載】

続きは『砂浜美術館ノートⅡ』でどうぞ!

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≪語り手≫
浜田 啓(はまだ ひらく)

砂浜美術館informal学芸員(*1)で、砂浜美術館立ち上げメンバーの一人。
砂浜美術館のメインステージ“入野の浜”を10年間撮り続けた写真集『砂浜便り』を出版。砂浜美術館のパンフレットに使用されている写真は浜田氏のものである。

●註

*1 informal学芸員 以前、名刺に「砂浜美術館学芸員」と入れたところ、「学芸員は国家資格」と指摘され、以来informarl付き。(同じくinformal学芸員の一人である松本氏談)

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砂浜美術館ノートⅡ

砂浜美術館ノートⅡ

立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

ながい旅でした。

ながい旅でした。

1994年4月18日に発行された漂流物についての冊子です。当時の砂浜美術館学芸員(自称)の想いとセンスがきいた解説は、20年近くが過ぎた今日でも色あせることなく、人の心に響いてきます。

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第20回潮風のキルト展、作品募集について

第20回潮風のキルト展、作品募集について

海岸に流れ着く漂流物が素敵な作品に思えてくる:ビーチコーミング

ビーチコーミング

ビーチコーミングって??

ビーチは「砂浜」、コーミングは「くしで髪をとく」という意味で、ビーチコーミングは砂浜に流れ着いたものを、くしで髪をとくように拾い集め、収集したり、収集した漂流物でアートをしたりして楽しむことをいいます。
砂浜美術館のビーチコーミングは、海岸に流れ着いたものを、単なるゴミととらえてしまう感性よりも、素敵な砂浜美術館の作品、たった一つの自分の宝物と思えるような感性を大事にしようとスタートした体験プログラムです。

では、今からビーチコーミングの詳しいプログラム内容をご紹介します!


①ユニークな漂流物をご紹介します

さまざまな漂流物たち

↑さまざまな漂流物たち

ユニークな漂流物をご紹介します 出張講座もしています

ヤシの実、クジラの骨、メッセージボトル、外国製のライター、レジンペレット、木製のお札・・・、
流れ着いた漂流物を一つひとつ注意深く見てみると、とてもおもしろい発見があります。そこにはロマンを感じさせるものから、環境問題を考えさせるもの、あるいは民俗学的・歴史的なものなど様々なメッセージが隠れています。まさに現在の地球社会を写し出す鏡のようです。

ここでは、砂浜美術館が所蔵しているさまざまな漂流物をご紹介し、参加者のみなさんに実際に触れてもらいながら楽しんでいただきます。

②砂浜美術館(入野の浜)で漂流物を集めよう

砂浜美術館(入野の浜)でお宝の漂流物を探そう

↑砂浜美術館(入野の浜)でお宝の漂流物を探そう

所蔵の漂流物を楽しんだ後は、実際に砂浜へ移動して、一緒に漂流物を探していただきます。天気によって漂流物の多い少ないがありますが、それも自然ならではの美術館です。

ひとたび嵐がやってくると、海岸にはとてもたくさんのものが漂着します。写真にあるような大きな冷蔵庫やイノシシまでが流れ着くこともあります。

漂流物を拾った後は、その漂流物でオブジェなどのクラフト作りをするので、作りたいものをイメージしながら拾ってみてくださいね(漂流物が少ない場合でも、貝がら等をご用意していますので、ご安心ください)。

どこから流れ着いたのかを想像してみると楽しい 酷い雨の後はこんなものまで流れ着きます

③漂流物を使ってクラフトを楽しもう

いくつかデザイン型もありますので、お気軽にご参加いただけます

↑いくつかデザイン型もありますので、お気軽にご参加いただけます

子どもたちは夢中です♪ もちろん大人も楽しめます!

そして最後は、砂浜美術館で拾ったお気に入りの漂流物をを使って、クラフト作りです。オリジナルのオブジェをつくるもよし、フォトフレームやウミガメ・クジラのオブジェなどのデザイン型を活用してもよし。どなたでもお気軽にクラフトを作っていただけるように準備しています。

子どもから大人まで、みんなで一緒に楽しんでいただける砂浜美術館の体験プログラム「ビーチコーミング」。ご予約・お問い合わせの方は、こちらからどうぞ。(※出張講座の場合は、別途交通費をいただいております)

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ビーチコーミング
価格:お一人さま2,000円(10名さま~)
所要時間:約2時間(事前に要予約)
※雨天でも対応可。材料・道具はこちらで用意しております。
ご予約はこちらからどうぞ!


オプションプログラム

流木や貝殻など自然のものに混じって環境問題を考えさせられる漂流物も多くあります。通常のビーチコーミングプログラムにくわえて、マイクロプラスチックや海の環境問題についても学べるプログラムをご用意しております。

●砂浜でビーチコーミングする際に、流れ着いたマイクロプラスチックについて調査します。建物内に戻ってから分類し、海の環境問題や私たちの生活とのつながりについて考えます。またビーチクリーンにもご協力いただきます。

●貝殻など自然のものだけでなく、流れ着いた人工物も使って作品作りをします。

オプションプログラム

↑ふるいを使って砂の中の人工物をしらべる       ↑ビーチクリーン

オプションプログラム

↑集めたものを分類してみる              ↑人工物もつかって作品作り

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ビーチコーミング&ビーチクリーン
価格:お一人さま3,000円(10名さま~)
※体験料金の一部は、海ごみ問題の解決や普及啓発の活動を行っている一般社団法人JEANの活動に寄付します。
所要時間:約3時間(事前に要予約)
ご予約はこちらからどうぞ!


楽しい漂流物の本

ながい旅でした。

ながい旅でした。

1994年4月18日に発行された漂流物についての冊子です。当時の砂浜美術館学芸員(自称)の想いとセンスがきいた解説は、20年近くが過ぎた今日でも色あせることなく、人の心に響いてきます。

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秋のひらひら、第20回潮風のキルト展:作品応募について

秋のひらひら、第20回潮風のキルト展:作品応募について

人と自然のつきあいかた

秋のひらひら、第20回潮風のキルト展、作品応募について

開催日時 :2014年11月14日(金)~11月16日(日)9:30~15:30

応募期間 :2014年9月1日(月)~10月20日(月)※直接搬入は、平日9:00~17:00

応募料 :キルト大:3,000円、キルト小:2,000円

審査員 :小林恵さん(ライフスタイルジャーナリスト)

【プロフィール】
1964年渡米。68年ニューヨークでデザイン会社を作り、80年フリーランスとして独立。アメリカンキルトを日本に紹介。アメリカンキルト事典(文化出版局)他著者多数。アメリカンライフスタイルを専門に執筆、プロジェクト企画。


ひらひらの風景に参加しませんか

砂浜美術館の潮風のキルト展は、“自然”がテーマの野外で展示を行うキルト展です。キルト作品に思い思いのメッセージを縫い込んで、松原でひらひらさせてみませんか。

応募用紙はコチラ

1.応募規定

1.応募規定

● 未発表のオリジナル・パッチワークキルト。テーマは自然。あなたの地域の誇れる自然、あなたの思い出の自然をキルトに表現してください。
● 製作するキルトサイズを2種類から選んでください。
キルト大(ヨコ110cm、タテ160cm)キルト小(ヨコ50cmm、タテ50cm)
● できるだけ再利用布を使用してください。技法は問いません。
● 展示の際、ロープや竹竿を通す場合があります。展示用の帯を上図のように裏面上下に縫い付けてください。
● 作品の裏面右下に「題名・氏名(ふりがな)・郵便番号・住所・電話番号」を書いた布を縫い付けてください。
● 作品にこめた思い、伝えたいことを200字以内にまとめて同封してください。
● 一人何点でも応募できます。

2.砂浜美術館に送ろう!

3.砂浜美術館に送ろう!

A.郵送

応募用紙をダウンロードし必要事項を記入後、応募用紙とともに下記のお問合せ先まで郵送してください。作品と同時に応募料のお振込みもお願いいたします。メッセージの原稿は返却いたしませんのでご注意ください。

お問合せ
NPO砂浜美術館事務局
〒789-1911高知県幡多郡黒潮町浮鞭3573-5
TEL:0880-43-4915 / MAIL:nitari@sunabi.com

お振込み先
郵便振替
口座番号:01680-4-44588
口座名義:特定非営利活動法人 NPO砂浜美術館

銀行振込
ゆうちょ銀行(銀行コード9900) 一六九店(支店番号169)
当座:0044588
口座名義:特定非営利活動法人 NPO砂浜美術館 トクヒ)エヌピーオースナハマビジュツカン

B.直接搬入

直接搬入も受け付けています。直接搬入は平日の9:00~17:00、作品とともに応募料と応募用紙も合わせてご持参ください。

3.ひらひらします

4.ひらひらします。

全国から集まったキルトたちが小春日和の松原で静かに潮風にそよぎ、太陽の光の具合で、室内では味わうことのできない色々な表情を見ることができます。

賞もあります!
●「潮風のキルト展」開催中は、300円の協力金をお願いしています(中学生以上)。協力金の一部は、入野松原の保全に活用します。
● 応募されたすべての作品は、松原の中にロープを張って展示されます。
作品は、夜間は室内に保管し、天候により展示を中止、または会場を変更することがあります。
● 他人の著作権、肖像権を侵害したり、著しく風紀を乱す恐れのある作品の受付はできません。
● 応募作品および文章の著作権(使用権)は主催者に帰属します。
● このコンテストは松原での野外展示となります。したがって、作品の管理には万全を尽くしますが、万一の災害等により作品を損傷した場合、その弁償は致しません。また、作品輸送時の事故等による損害についても主催者は責任を負いません。

4.すべての作品をお返しします

応募されたキルト作品は、すべて「着払い」にて発送させていただいております(メッセージの原稿は返却いたしません)。なお、作品の直接搬出は11月16日(15:30~16:30)に受付けしています。

応募用紙はコチラ

「哲学の浜辺」第2部をちょっと解説:入野の浜と子どもたち

入野松原

↑入野松原

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<前口上>
このインタビューについて

インタビューは1997年2月8日から10日にかけて、大方町の砂浜美術館事務局、入野の浜、魚市場、黒砂糖工場、居酒屋、うどん屋、佐賀町の天日塩工場を会場に行った。

また、参加者が14人と多いため、砂浜美術館の関係者の発言をまとめて”細字”とした。”太字“はインタビュアーの発言であり、中川理(京都工業繊維大学助教授)と花田佳明(建築家、神戸山手女子短期大学助教授)が務めた。

※このインタビューは、1997年に発行した『砂浜美術館ノート』(非売品)からの転用です。地名や肩書きなどは当時のまま修正せずに使用しています。

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1955年生まれの武政登氏がまだ小学生の頃の話。友だちと海の近くで遊んでいると、何やら海に段ボールの箱が漂っているのを発見。あの手この手でその段ボールを岸に寄せると、それはロウでしっかりと防水された箱だった。で、開けてびっくり玉手箱。

中から出てきたのは色とりどりのお菓子やタバコ、雑誌、それに手紙などだった。ただし、お菓子もタバコのパッケージも手紙もぜんぶ英語であった。雑誌には女の人のハダカの写真が載っていた。お菓子だけ山分けして、あとは木の茂みの中に隠した。手紙は捨てた。

「いま思うと、きっとベトナム戦争に行った若者にアメリカの家族が送った物資だったんですね。それがどこかで漂流して、黒潮がここまで運んできたんです。手紙は悪いことしたと思う」

さて、インタビューの中で、1972年の県による公園指定以前の話が出てくる。浜田啓氏の『砂浜日記』は、公園以前の入野の浜と松原の様子をいきいきと描き出している。たとえば「秘密球場」と題した話はこんなふうだ。

<小さいころ、松原の中に球場があった。ソフトボールがさかんで、子どもたちでチームをつくっていた。チームはそれぞれ松原の中に秘密球場をもっていた。球場づくりは、雑木や草をぬき、みんなでつくった。自分たちの球場づくりは楽しかった。今では、まぼろしの球場になってしまった。>

砂浜美術館待夢子に連載した浜田氏の砂浜日記

↑砂浜美術館待夢子に連載した浜田氏の砂浜日記

30年前、武政少年はベトナム戦争を漂流物によって体験し、浜田少年は球場づくりにいそしんでいた。インタビューの中にある花田佳明氏の言葉を借りるならば、こうした「トレーニング」が後の砂浜美術館的な発想を生み出す原動力になっているのだろう。子どもたちにとってもまた、入野の浜や松原は生活の一部だったのだ。

なお、ここには掲載しなかったが、初日のインタビューでいちばん盛り上がったのが、地元で「くびっちょ」と呼ぶ野鳥のワナの話と、花田氏が設計した家の話だった。前者は「小学校に行くときにしかけ、帰りにとって焼いて食べた」というエピソードで、20年ほど前までは野鳥が子どもたちのオヤツだったのである。後者はその坪数が興味の対象で、17坪という敷地面積に一同驚き「うちは100坪だけどせまい」「うちは200坪あるけどせまい」と、途中からせまいんだか広いんだかわからなくなったのだが。家にはキャッチボールのできる庭があり、釣りをしてから出勤できる。これがふつうの生活。

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

「哲学の浜辺」第3部:伝えたいのは考え方です
「哲学の浜辺」第2部:美しい砂浜が美術館です


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砂浜美術館ノートⅡ

砂浜美術館ノートⅡ

立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

ながい旅でした。

ながい旅でした。

1994年4月18日に発行された漂流物についての冊子です。当時の砂浜美術館学芸員(自称)の想いとセンスがきいた解説は、20年近くが過ぎた今日でも色あせることなく、人の心に響いてきます。

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