第20回 潮風のキルト展は終了しました。

第20回 潮風のキルト展

人と自然のつき合い方を考える

第20回 潮風のキルト展

日時 :2014年11月14日(金)~16日(日)9:30~15:30

場所 :砂浜美術館(高知県黒潮町 入野松原)【雨天】ふるさと総合センター

※協力金300円(中学生以上・協力金の一部は入野松原の保全に活用させていただきます)

主催 :特定非営利活動法人NPO砂浜美術館

協力 :パッチワークキルトサークルあずさ、自然工房

後援 :高知新聞社、朝日新聞高知総局、毎日新聞高知支局、読売新聞高知支局
日本経済新聞社高知支局、株式会社デイリースポーツ、産経新聞高知支局、NHK高知放送局
RKC高知放送、KUTVテレビ高知、KSSさんさんテレビ、エフエム高知

審査員 :小林 恵(コバヤシケイ)

【プロフィール】
1964年渡米。68年ニューヨークでデザイン会社を作り、80年フリーランスとして独立。アメリカンキルトを日本に紹介。アメリカンキルト事典(文化出版局)他著書多数。アメリカンライフスタイルを専門に執筆、プロジェクト企画。日米草の根文化交流協会(ニューヨーク州)ディレクター。


今年20回目となる潮風のキルト展は、砂浜美術館の秋の代表作品です。全国から集まったキルトたちが小春日和の松原で静かに潮風にそよぎ、太陽の光の具合で、室内では味わうことのできない色々な表情を見ることができます。

・今年のフライヤーはこちらから。

・入賞作品はこちらからどうぞ。


プログラム

宮西達也さんの絵本の世界を楽しもう

第20回特別企画

宮西達也さんの絵本の世界を楽しもう

絵本作家・宮西達也さんの作品『きょうはなんてうんがいいんだろう』の登場人物(人じゃないけど)が、松原にやってきます。本物の自然の中で、絵本の「おひるねもり」の風景を楽しもう!
青空図書館やお話の読み聞かせもありますよ。

patch-workさんがやってくる!

たのしいワークショップ♪

patch-workさんがやってくる!

兵庫県発「人・伝統・地域・家族をパッチワークを通じてつなぐ」活動をしているユニット。『つながるモビ~る☆』『くるみボタンバッチ』のワークショップや、グッズ販売・ミニ作品展で、彼らの魅力にふれてみてくださいね。

参加料 500円

※材料に限りがございますので、なくなり次第終了となります。また、一度に5名様を超えますと、お待ちいただきますのでご了承くださいませ。

キルトとらっきょうの花見

砂浜美術館の秋の作品はこれ

キルトとらっきょうの花見

色とりどりのキルトと、赤紫色のらっきょうの花畑が作り出す穏やかな風景に、だんだんと気持ちもゆるんでしまう秋の砂浜美術館。遠くから見たあと、キルトに近寄ってみれば、一つひとつの作品はやさしく、きっと心が笑顔になるはず。

野点・茶波茶葉亭

自然の中でいただく豊かなひとときを

野点・茶波茶葉亭

秋空の下、目の前に広がるらっきょうの花畑、潮風にそよぐキルトを見ながらのお茶はいかがですか?
好きな茶碗を選んで、自然の中でいただく一服に心がほっこりします。お気軽にどうぞ♪

日時 11月16日(日)10:00~15:00
料金 300円(お茶・お菓子)
松原のお店屋さん

人のあったかさがうれしい小さなマーケット♪

松原のお店屋さん

幡多のおいしいもの・かわいいもの、黒潮町・馬荷地区から源泉の足湯も。手作りのやさしさと人の笑顔が集まる小さな青空マーケットで、心と足をほっこり癒しましょう。ここでも、絵本の世界を楽しめます(味わえます!)

日時 全日程 9:30~15:30

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潮風のキルト展
場所:砂浜美術館(高知県黒潮町・入野松原)

「哲学の浜辺」第4部をちょっと解説:つながること

松本敏郎氏が拾った海流ビンに入っていたブライアンの手紙

↑松本敏郎氏が拾った海流ビンに入っていたブライアンの手紙

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<前口上>
このインタビューについて

インタビューは1997年2月8日から10日にかけて、大方町の砂浜美術館事務局、入野の浜、魚市場、黒砂糖工場、居酒屋、うどん屋、佐賀町の天日塩工場を会場に行った。

また、参加者が14人と多いため、砂浜美術館の関係者の発言をまとめて”細字”とした。”太字“はインタビュアーの発言であり、中川理(京都工業繊維大学助教授)と花田佳明(建築家、神戸山手女子短期大学助教授)が務めた。

※このインタビューは、1997年に発行した『砂浜美術館ノート』(非売品)からの転用です。地名や肩書きなどは当時のまま修正せずに使用しています。

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Tシャツアート展の最初の作品提供者である写真家の北出博基氏は、札幌芸術の森が編集発行する美術誌『ルア』に、砂浜美術館の紹介としてこんなエッセイを寄稿している。

<取り入れた、あるいは風景にうまく溶け込んでいるという言い方があるが、ここでは風景そのものが作品である。そして、その風景と遊び、楽しむ町の人々の心の中に美術館が確かに存在するのである。>

北出氏はいう。「展示はコミュニケーションだから、来てくれた人にいかに気持ちよく見てもらうかが大切。そう考えるとここの砂浜は展示にぴったりの気持ちのいい場所です。ぼくは、あえて建物をつくらなかった、この町の人たちの頭の柔軟さを誇ってあげたいと思う」。その北出氏が提供した写真作品はアメリカの西海岸の風景だった。太平洋をはさんで、アメリカの風景が大方町の風景に溶け込んだのである。

さて、インタビューではインターネットを、遠く離れた人同士がつながるための道具と紹介されているが、松本敏郎氏の次のエピソードはこれと対極にありながらどこか底流で通じ合う何かを感じるものだ。

松本氏は1991年4月9日に、となりの中村市の浜で1本のガラスビンを拾った。ビンには手紙が入っていた。これは海流ビンと呼ばれ、入野の浜にも鹿児島県などの小学生が出した手紙入りのビンがしばしば届く。

このとき氏が拾ったビンの中の手紙は、日本語以外に英語、アラビア語、中国語など9ヶ国語で書かれていた。そこには「拾った人は、見つけた日にちと場所をこの住所に送ってください」とあった。手紙の主はアメリカのテキサスに住む11歳の少年だった。大西洋に面したテキサスから届いたということは、南米のホーン岬かアフリカの喜望峰をまわったのだろうか。拾った旨の手紙をエアメールで出すと、ほどなくして返事が届いた。

11歳の少年は16歳の高校生になっていた。そこには氏がビンを見つけた最初の日本人であること、ビンは1106個を近所に住むタンカーの船員にたのんで太平洋と大西洋で投げてもらったこと、そして世界30ヶ国から返事が届いたこと、結果を学校のサイエンスフェアで発表してきたことが記されていた。そして「あなたの子どもたちに、ぼくがこれらの計画からいろいろな事を学び、そしてとても楽しんでいることを伝えてください」と結ばれていた。

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

→(次回)「哲学の浜辺」インタビューを終えて:中川理
「哲学の浜辺」第4部:インターネットにできないこと


もっと読みたい方へ

砂浜美術館ノートⅡ

砂浜美術館ノートⅡ

立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

ながい旅でした。

ながい旅でした。

1994年4月18日に発行された漂流物についての冊子です。当時の砂浜美術館学芸員(自称)の想いとセンスがきいた解説は、20年近くが過ぎた今日でも色あせることなく、人の心に響いてきます。

ご興味のある方はコチラへ

らっきょうの花と潮風のぶらぶらウォーク

らっきょうの花と潮風のぶらぶらウォーク

美しい日本の歩きたくなる道500選を歩く

らっきょうの花と潮風のぶらぶらウォーク、参加者募集中!

開催日時 :2014年11月16日(日) 10㎞コース 9時集合  5㎞コース 10時集合

集合場所 :ふるさと総合センター(黒潮町入野176-2)「土佐入野」駅より徒歩5分

参加料 :1,500円(昼食・保険代)

応募締切 :2014年11月14日(金)

持参物 :水筒・雨具・健康保険証・その他ウォーキングに適した服装

特典 : 1、完歩賞 2、美しい日本の歩きたくなる道500選 高知39-2土佐入野松原へのみち 認定押印 3、IVV(イヤーラウンド10km認定書) 4、黒潮町特産品のお土産付

4km続く砂浜、深い緑の入野松原、赤紫色のかわいらしいらっきょうの花を眺めながらウォーキングをしませんか? 松原では「潮風のキルト展」を開催しており、砂浜美術館の秋の色とりどりの作品がご覧いただけます。


ウォーキングコース

らっきょうの花と潮風のぶらぶらウォーク

お申込み/お問い合わせ

お問い合わせ、お申し込みはNPO砂浜美術館事務局まで。

電話:0880-43-4915

「哲学の浜辺」第4部:インターネットにできないこと

はだしで砂浜を歩く、あの独特の感触まではインターネットでは伝えられない

↑はだしで砂浜を歩く、あの独特の感触まではインターネットでは伝えられない

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<前口上>
このインタビューについて

インタビューは1997年2月8日から10日にかけて、大方町の砂浜美術館事務局、入野の浜、魚市場、黒砂糖工場、居酒屋、うどん屋、佐賀町の天日塩工場を会場に行った。

また、参加者が14人と多いため、砂浜美術館の関係者の発言をまとめて”細字”とした。”太字“はインタビュアーの発言であり、中川理(京都工業繊維大学助教授)と花田佳明(建築家、神戸山手女子短期大学助教授)が務めた。

※このインタビューは、1997年に発行した『砂浜美術館ノート』(非売品)からの転用です。地名や肩書きなどは当時のまま修正せずに使用しています。

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砂浜美術館には2種類の面白さがあると思うのです。
Tシャツアート展や漂流物展のような具体的な面白さ、
そしてアイディアとかの観念的な面白さです。

極端な話をすると、砂浜美術館のアイディアさえ手に入れたら、道端の石ころだって作品に見えてきますよ。もっとも石ころを見せて「これは作品です」といったところで、相手は「石にしか見えん」というでしょう。ただし、これを突き崩すことはできます。たとえば、加持さんが、かつて中村市の川登郵便局長をしていたときに発案したという、「四万十の音郵便」です。

四万十川の川砂を厚紙にはさみ込んだ葉書で、いまでも郵便局員が1枚1枚手作りで作っています。もう1万枚以上出ています。

四万十川の音郵便

↑四万十川の音郵便

北海道の人がこの「四万十川の音郵便」をもらったとします。葉書を振ると、川砂がサラサラと流れる音がする。それで高知県の四万十川ってどんな所なんだろうと思い浮かべるわけです。これ、ただの砂なんですね。でもそれが北海道と高知をつないだしまう。

(加持)ぼくが「四万十川の音郵便」を考えたのは、基本的に「来ないでほしい」と思っているからなんです。イメージだけで良い所だと思うのなら、何も行く必要がない。行くとしてもイメージを確認しに行くようなもので、それで幻滅したりします。それでも行きたいという人だけが来たらいいんです。それに、都会から遠いという距離感も、ぼくは大切な財産だと思っています。

現地に行かなくてもつながれるという点では、いまはインターネットがありますね。

砂浜美術館もようやくホームページを開設したところです。

砂浜美術館はインターネット向きですね。というのは、砂浜美術館には2種類の面白さがあると思うのです。Tシャツアート展や漂流物展のような具体的な面白さ、そしてアイディアとかの観念的な面白さです。その観念的な部分をインターネットで情報発信したらいいんじゃないかな。リンクできるホームページも多いでしょう。日本土木学会だとか(笑)。入野の浜にカメラを固定して、ただ延々と砂浜の24時間を映し出すだけだって面白いですよ。

インターネットのネットワーク上にもうひとつの砂浜美術館をつくるわけですね。インターネットで、漂流物の落とし主を探したり、漂流紀行文学賞の公募を呼びかけることもできる。4月1日にはウソばかり載せる。「私たちの町には美術館があります」と(笑)。

ただし、なんでもかんでもネット上に載せればいいというものではありません。いまインターネットが面白くないのはそこにあって、たとえば観光情報なんかガイドブックまるごと入っているけれど、そんなものはガイドブックで間に合う。ぼくは慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスのホームページによくアクセスするのだけど、中には日記をそのまま載せている学生だとかがいて、これがけっこう面白い。はまりました(笑)。インターネットがすごいのは、既存の権威とか価値があまり通用しないことです。情報としてみると、一学生もえらい大学教授も等価になってしまう。

いままで砂浜美術館のホームページづくりをしてきて、
いまひとつ面白くなかった。何を伝えたらいいのかが見えなかったんですね。

では、砂浜美術館がインターネットで情報発信するとしたら、どんなものが面白いですかね。

たくさんありそうです。さっきの学生の日記のノリでいけば、町の居酒屋のお品書きなんかはどうですか(笑)。あるいは今日、魚市場にどんな魚が水揚げされて、それはいくらの値段が付いたかとか。見た人はきっと「大方町では都会の半分で飲めるんだ。こんな魚が採れるんだ」と思うでしょう。たぶん、砂浜美術館のみなさんなら、インターネットの面白さの指標みたいなものを発見できるのではないかと思います。皮膚感覚の面白さのようなものです。

ただ、ちょっとむずかしいと思うのが、たとえ同じ皮膚感覚でも、はだしで砂浜を歩く、あの独特の感触までは伝えられないじゃないですか。

だから、いまネットワーク社会といわれているけれど、そのいちばん大切な部分が切り捨てられる恐れが一方であるんです。でも、砂浜美術館は、まさしくこの町の肌触りみたいなところの情報を、外に向かって、これまでさまざまなかたちで発信し続けてきたわけです。それはこの町でなければわからなかったこと、気が付かなかったことなんですね。

ぼくは、いままで砂浜美術館のホームページづくりをしてきて、いまひとつ面白くなかった。何を伝えたらいいのかが見えなかったんですね。でも、いま、ようやくわかった気がします。

気をつけなければいけないのは、やはり肌触りみたいなものを伝える発信の仕方は、インターネットにできないのだということです。

そうするとさいごのメッセージは、「大方町に来んといかん。そうやないとわからんこともある」ということですかね。

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

「哲学の浜辺」第4部をちょっと解説:つながること


「哲学の浜辺」第3部をちょっと解説:考え方は伝わるか


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砂浜美術館ノートⅡ

砂浜美術館ノートⅡ

立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

ながい旅でした。

ながい旅でした。

1994年4月18日に発行された漂流物についての冊子です。当時の砂浜美術館学芸員(自称)の想いとセンスがきいた解説は、20年近くが過ぎた今日でも色あせることなく、人の心に響いてきます。

ご興味のある方はコチラへ