「その日」 そもそものきっかけ・39日間の物語 最終話

クジラと城の砂の彫刻

↑クジラと城の砂の彫刻

笑って帰ったゼネコン営業マン

企画書が届いた翌日、大方町議会の定例議会にTシャツアート展の補正予算案が提出されました。これに新聞記者が注目しました。わたしは町長に「記者会見をしますか」とたずねたのですが、必要ないといわれました。しかし6月27日の朝刊には、朝日新聞と高知新聞の両紙に大きく「入野海岸を砂の美術館に」と出ました。

それは「砂浜美術館」という5つの文字が、ついに世の中へ出た瞬間でした。そしてそれは、わたしたちが梅原さんとはじめて会った5月20日から数えて39日めのできごとでした。

砂の美術館でのTシャツ写真展や砂の彫刻展のイメージ図

↑砂の美術館でのTシャツ写真展や砂の彫刻展のイメージ図

(以下、1989年6月27日・朝日新聞より)

入野海岸を砂の美術館に

大方町が計画を議会に提案
「一面でイベント」

幡多郡大方町は、同町の名勝・入野松原沿いの海岸を砂浜美術館に見立て、写真入りのTシャツを砂浜一面に展示するなど、今年度から様々なイベントを実施していく計画をまとめ、26日開会の六月議会に提案した。

計画によると、砂浜美術館(シーサイドギャラリー)は、入野海岸そのものを美術館に見立て、入野松原はもちろん、そこで見られるクジラやウミガメ、近くで作られているラッキョウ、黒砂糖などすべてを作品と考えていこうというもので、住民の自然を大切にする気持ちを盛り上げるとともに、観光客らに同町のイメージアップを図る。

今年は、その手始めとして、毎年8月に入野海岸で開かれている「フェスティバル大方」に合わせ、Tシャツ写真展や砂でクジラや城の造形をする砂の彫刻展を開く。今年は8月13日から15日になる予定で、このほかにも花火大会や釣り大会、盆踊りなどの催しがある。

Tシャツ写真展は、「気分はウエストコーストのまち」とのサブタイトルで、入野の青い海と空がアメリカ西海岸に似ていることから考えられた。向こうのいろいろな風景写真を白いTシャツ200枚にプリントし、砂浜一面にロープを渡して展示する。来年からは、一般から写真を募集し、それをTシャツにプリントして展示することも考えており、2000枚程度に規模を広げていく予定。

砂の彫刻は、同町が2年前から試みているが、作品数をさらに増やして、数年後には札幌の雪祭りのような大がかりなイベントにする計画。

同町は「この町にあるすべての美しいものを、砂の美術館というイメージで結びつけることで、町の活性化に役立てたい」と話している。

この新聞報道にはこんな後日談があります。記事が出た数日後のことです。役場の前の社会福祉センター内にある砂浜美術館の事務局に、大手ゼネコンの営業マンが訪れました。「美術館を建設するそうですが、ぜひ建設をわが社に」というのです。そして、わたしたちの前に業務実績資料を広げて、ていねいに説明をはじめました。30分ほど聞いたところで、「じつは砂浜美術館は、砂浜が美術館ですから、もうできているんですよ」といってあげました。営業マンもやっと気づいたのか「ああ、そういうことですか」と照れ笑いをしながら帰っていきました。(完)

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

第一話「少し大人になってわかったことがある」
第六話「(払ってないが)1000万円の企画書」

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≪語り手≫
松本 敏郎(まつもと としろう)

砂浜美術館informal学芸員で、砂浜美術館立ち上げメンバーの一人。


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砂浜美術館ノートⅡ

砂浜美術館ノートⅡ

立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

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「その日」 そもそものきっかけ・39日間の物語 第六話

砂像を見上げる親子

↑砂像を見上げる親子

(払ってないが)1000万円の企画書

話をここで元に戻すと、Tシャツアート展をわたしたちが実施するに当たって、もう一人の発案者であり作品の提供者となる北出さんと会っておく必要がありました。もちろん北出さんにも発表の場を見ておく必要があります。6月15日(木)に北出さんは梅原さんと一緒に来町されました。その日、砂浜には、昨夜、産卵のために上陸したウミガメが這ったヒレの跡が残っていました。北出さんも興味深げに観察されていました。

夜は2人の歓迎会を町内の居酒屋で開きました。はじめこそ、2人を囲んで和やかに歓談するつもりでしたが、ちょっとしたことから客人を前にメンバー同士が大口論をはじめ、肝心の2人をすっかりしらけさせてしまいました。余談ですが、その後も、わたしたちのミーティングは口論すさまじく、よく「けんかをしているのか、議論しているのかわからない」といわれます。

そして1989年6月21日(水)*1。わたしのところに1通のFAXが届きました。かねてより梅原さんにお願いしていた企画書です。見たとたん「すごい・・・」と身震いを覚えました。梅原さんは、電話のむこうでわたしに「これは1000万円の企画書じゃ」と叫びました。わたしも「まさしく1000万円」と思いましたが、予算的な事情もあり、心の中だけにとどめておきました。

企画書には、わたしたちが侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を行った中から生まれた言葉がちりばめられていました。それが梅原さんのすばらしいセンスで表現されていました。

砂浜郵便局に“おおがたはがき”を投函する子ども

↑砂浜郵便局に“おおがたはがき”を投函する子ども

私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。
ものの見方を変えると、いろんな発想がわいてくる。
これこそが今、大方町にとって大事なこと。
4キロメートルの砂浜を頭の中で「美術館」にすることで、
新しい創造力がわいてくる。

砂浜が美術館だとすると
沖に見える「くじら」が作品です
海に打ち上がる「花火」が作品です
「海亀」が卵を産みにくることが作品です
「美しい松原」が作品です(だから残そうとしています)
「らっきょう」は砂浜の作品です
「黒砂糖」は無農薬の作品です。
磯の動物の名前をたくさん知っている「子どもたち」が作品です
4キロもある砂浜は私たちの大作ですが、この作品は毎日ちがう顔をしています
私たちは、考え、行動し、日本全国に「大切なことを伝えてゆく作品」を、この「砂浜という美術館」から、発信してゆこうと思います。

私たちが主人公
作品は、私たち自身が作らないといけない。
作品のテーマはいろいろある。
くじら・松原・産物・環境・自然・人・町・今地球にとって大切なこと
これらをテーマに、日本全国に砂浜から発信していく

発信していくには
新しい考え方・感性が必要
日々、私たちは新しい作品を創造していかなくてはいけない。
そのためには、新しい感性で作品を作っている人の考え方にも出会いたい。
毎年、一年の節目に、感性豊な人を呼んで、砂浜で作品を発表してもらおう。
私たちが企画を立て、全国から作品を募集して、大方町砂浜美術館に展示しよう。
「大方町砂浜美術館」を利用したい人に貸してあげよう。
外の人の新しい感性に出会いながら、私たち自身が、
私たち自身の感性で作品を作っていこう。
私たちの町には美術館がない。
これからも造ろうとは思わない。
なぜなら、美しい砂浜が美術館*2だから。
これこそが、私たちの感性である。

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

最終話「笑って帰ったゼネコン営業マン」
第五話「Tシャツ売って20万円つくる」

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≪語り手≫
松本 敏郎(まつもと としろう)

砂浜美術館informal学芸員(*3)で、砂浜美術館立ち上げメンバーの一人。

●註

*1 6月21日 前日、松本氏たちはTシャツ展示の杭となる間伐材を町内の山に取りに行っている。
*2 砂浜が美術館 入野の浜で「砂浜美術館はどこですか」とたずねられても「ここ」といえない町民は多い。「そんなウソをいうてもかまんろうかね」と本気で心配している人もいる。
*3 informal学芸員 以前、名刺に「砂浜美術館学芸員」と入れたところ、「学芸員は国家資格」と指摘され、以来informarl付き。

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砂浜美術館ノートⅡ

砂浜美術館ノートⅡ

立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

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スタッフ募集「地域の自然や文化をタノシム旅をつくる」

「地域の自然や文化を“タノシム”旅をつくる」スタッフ募集

黒潮町には立派な観光施設などはありません。高知空港からも車で約2時間と交通の便もよくありません。しかし、だからこそ残されている自然、また、そんな自然と上手につき合っていく知恵や文化、それらを大切にしている人びとの暮らしがあります。

砂浜美術館では、そうした地域資源を再発見し、地域の人たちと一緒に、この土地の自然や文化を“タノシム”旅をつくっています。

自転車で漁師町を巡る旅

自然や文化をタノシムって?

ゆったりとした時間の中で、自然に親しみ、地域の文化を大切に思うこと。そんな旅を地域の人と一緒につくり、旅人と共有すること。砂浜美術館のタノシミ方です。

黒潮町には、普段の暮らしの中に、小さな豊かさがたくさん詰まっています。それは、ここに住む人たちの宝物であって、訪れる旅人にとっては「訪れてみたい!」「また来よう!」と思ってもらえる魅力です。そうした豊かさをたくさん発見して、魅力ある旅を一緒につくりませんか。

現在、そんな旅をカタチにしていくための仲間を2名募集しています。


A.『sunabi(すなび)旅行』

地域の自然や文化をタノシミ、町を元気にするためには、事業としての継続が必要不可欠です。NPO砂浜美術館では、町の小さな循環経済の構築を目的とし、昨年8月旅行業(第3種)を取得。地域を大切にした旅行商品づくり、販売、受入を始めました。
sunabi旅行は、地域の未来を観光という立場から支える存在を目指しています。

天日塩づくりの体験≪天日塩づくりの体験≫

業務内容 黒潮町観光プラットフォーム整備事業における
※観光案内
※町内観光の調査、商品造成、受入
※スポーツ施設を利用した合宿・大会誘致などのスポーツ観光事業
※事務 等
勤務時間 8:30~17:00(4~9月は17:30まで)
休日 週休2日
※休日はローテーション制による1ヶ月単位で勤務シフトを組みます
給与 180,000円(社会保険・雇用保険あり) 他手当なし
勤務場所 高知県幡多郡黒潮町 ビオスおおがた情報館
採用人数 1名
採用期間 平成25年12月1日~平成27年3月31日
※契約更新の可能性もあり
その他 高知県ふるさと雇用再生特別基金事業です

B.『ホエールウォッチング』

土佐湾には体長約12m、優雅に泳ぐ姿から「海の貴婦人」とも呼ばれるニタリクジラを見に行く「ホエールウォッチング」を、4月末~10月末まで実施しています(その貫禄から、砂浜美術館の設立以来、館長をつとめています)。いつまでもクジラが安心して暮らせる海であってほしい、そんな願いを込めてホエールウォッチング事業を行っています。

ホエールウォッチング≪漁師さんの漁船で行くホエールウォッチング≫

業務内容 ホエールウォッチングに関する業務
※ホエールウォッチング受付配船業務
※営業、イベント企画、運営
※その他 観光関連事業
※事務 等
勤務時間 8:30~17:00(シーズン中は8:00から)
休日 週休2日
※休日はローテーション制による1ヶ月単位で勤務シフトを組みます
給与 142,000円から150,000円(年齢に応じて)(社会保険・雇用保険あり)
この他、賞与(年2回)が支給されます。
勤務場所 高知県幡多郡黒潮町 ビオスおおがた情報館
採用人数 1名
その他 平成25年12月1日~平成26年11月30日
※契約更新の可能性もあり

応募条件・方法

応募条件 ・砂浜美術館の活動、考え方に共感をもっている方
・普通自動車免許(AT限定可)または、取得予定者
・パソコン(ワード、エクセル、メール)の操作ができる方
応募方法 ◆1次試験 書類選考
・履歴書・紹介状・作文を下記儒諸まで郵送、またはご持参ください。
11月18日(月)17時必着。締め切りました。多くのご応募ありがとうございました。
・作文テーマ「黒潮町の観光における活性化の方法について」(800字以内横書き)
◆2次試験 面接
日時:11月20日(水)午後
場所:ふるさと総合センター(黒潮町入野)
その他 11月最終週に3日程度、引継ぎのため出勤の可能性があります
お問合せ 特定非営利活動法人NPO砂浜美術館
〒789-1911 高知県幡多郡黒潮町浮鞭3573-5 道の駅ビオスおおがた情報館内
電話番号:0880-43-4915(9:00-17:00)
E-mail:nitari@sunabi.com

「その日」 そもそものきっかけ・39日間の物語 第五話

シーサイドギャラリーの全景

↑シーサイドギャラリーの全景

Tシャツ売って20万円つくる

町長に「失敗してもいいから、とにかくやってみろ」といわれたわたしたちは、役割分担を決めました。事業予算は教育委員会の文化振興費から出し、畦地が担当。事業はフェスティバル大方の中で行うこととし、矢野が担当。総合的な窓口と全体調整をわたしが担当し、梅原さんには企画書づくりをお願いしました。

翌日、畦地は早々と予算書をつくってわたしのところにもってきました。そこにはシーサイドギャラリー事業費として165万円が計上されていました。が、同時に協賛金として110万円の収入も計上されています。つまり、165万円の内、110万円は入ってくる見込みがあるというのです。

これはどうやってつくるのか畦地にたずねました。「Tシャツを売ったり、企業の協賛をもらう。企業は1社だけど、あてがある」と畦地はいいます。さっそくその会社に行きました。企画書1枚で「100万円ください」というのですから無茶です。相手からは逆に「企業が協賛するためには・・・」と教えられて帰ってきました。

残る10万円は、じつは梅原さんに「シーサイドギャラリーのロゴマークのデザイン料を払います。つきましてはTシャツアート展を成功させるために、その中から10万円を寄付してもらえませんか」と頼んだのです。こちらはポンとくれました。

このときのデザイン料は30万円でした。が、支払った20万円は町の予算ではなく自分たちでつくったお金でした。わたしたちは、シーサイドギャラリーのロゴマークをプリントしたTシャツを1000枚つくり、これを1枚2000円で売ったのです。20万円はその売上でした。

そんなことを繰り返している内に、わたしや畦地は、だんだんと「放し飼いの公務員」と呼ばれるようになり、やがて役場の中に1人2人と同じような者が増えていきました。こうして放し飼いの公務員たちは、この行政らしくない企画にのめり込んでいきます。

砂美人連のメンバー(当時、保健福祉センター内にあった事務所にて)

↑砂美人連のメンバー(当時、保健福祉センター内にあった事務所にて)

でも、Tシャツアート展を成功させるには、これを外部に広げること、そしてやるに当たっては梅原さんのいう「しっかりした考え方」をつくることが求められていました。

そこで、社会教育係(*1)で町のすべての団体の窓口役を務める畦地に中心となってもらい、青年団や商工会青年部、農業青年の集まりである4Hクラブなどの主だったメンバーに声をかけていきました。かけられた中には、ろくな説明もされずに「おもしろいことをするけん(*2)、仲間に入らんか」といわれた人もいます。

こうしてできたのが「さざなみ会」というTシャツアート展の実行グループです。当時の新聞には次のように紹介されました。

「さざなみ会」は入野海岸に着目した町おこしをと7月初めに結成した。メンバーは現在9人。20代、30代の会社員、公務員、農業青年ら、いずれも地元の社会人だ。これまで若者の活動の場といえば、青年団や商工会などが中心だったが、「一度枠をはずして、素直に感じていることを話し合ってみよう」と集まった。(・・・)
「この町でしかできないこと」を求めて活動の場を入野海岸と決めた。「さざなみ会」の名は、将来は「町を担う大波になろう」との意味を込めた。
(1989年8月16日 朝日新聞)

それにしても、取材のときに誰かが肩に力の入ったコメントをしたのか、それとも記者の紹介が大袈裟なのか、いま読むと赤面してしまいます。このさざなみ会という名前も、4か月後の11月には現在の砂美人連(さみっとれん)に改名しました。理由は「ジジくさいから」でした。

【『砂浜美術館ノート』(1997年発行・非売品)より】

第六話「(払ってないが)1000万円の企画書」
第四話「クジラも松原もみんな作品」

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≪語り手≫
松本 敏郎(まつもと としろう)

砂浜美術館informal学芸員(*3)で、砂浜美術館立ち上げメンバーの一人。

●註

*1 社会教育係 社会教育とは学校教育以外のすべてのこと。ちなみに畦地氏の前任者は松本氏である。
*2 おもしろいことを
するけん
そういわれて加わったのは、当時、商工会青年部長だった河野裕(砂美人連会長)である。
*3 informal学芸員 以前、名刺に「砂浜美術館学芸員」と入れたところ、「学芸員は国家資格」と指摘され、以来informarl付き。

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砂浜美術館ノートⅡ

砂浜美術館ノートⅡ

立ち上げに携わったスタッフとメンバーも入れ替わり、地域内外とさまざまな人が関わりながら活動を継続してきた砂浜美術館。そんな人びとのインタビューやエピソードを交えながら、1997年から2008年までの10年間の活動記録を掲載しています。

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